【庚申塔とは?】仏像マニアが調べてわかった意味と、現代人が忘れつつある信仰

庚申塔(こうしんとう)ってなあに?

筆者 まふね
筆者 まふね

庶民の信仰「庚申信仰」の石塔だよ
こんなものだよ↓

謎の石仏(庚申塔)
埼玉県草加市の庚申塔

庚申塔の意味と
現代人が忘れつつある信仰の姿
を、調べてまとめました。
仏像マニア漫画家(筆者)ならではのイラストで、楽しく読んでいただける記事になっています。

庚申塔の意味がわかると、道端で見かけるのが楽しくなりますよ♪

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ズバリ、庚申塔とは庶民の「庚申信仰」の石塔

まず結論。

路傍でみかける庚申塔の多くは
庶民の「庚申信仰こうしん しんこう」の石塔。
江戸時代に作られたものが多いそうです。

庚申塔を見たら、このあたりで「地域の集まり」的な
民間信仰の行事があったと思って下さい

「庚申」「信仰」するわけですが
その庚申ってなによ?
ですよね。

「庚申」の意味

庚申という言葉は、こよみの用語。「かのえさる」とも読みます
日本の昔の暦では、60日に一度「庚申の日」がやってきました。

●暦の雑学(読み飛ばしOK)

古く中国から伝わった暦の考え方に
六十干支ろくじっかんしというものがあります。
下記の「十干じっかん」と「十二支じゅうにし」を組み合わせ、
60日の周期をつくります。

十干(じっかん) → 甲・乙・丙・丁・戊・己・・辛・壬・癸
という10の要素

十二支(じゅうにし) → 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・・酉・戌・亥
こちらは干支えととして馴染み深い、12の要素

十干の「」と十二支の「」を組み合わせた日が、「庚申」の日

(な~んて書きながら、私自身が数字苦手でちょっと難しい・・・😅)

この60日に一度訪れる庚申の日に「庚申信仰」の行事がありました。
どんな信仰と、行事内容なのでしょうか?

庚申信仰ってどんなもの?

庚申信仰は、古代中国の思想・宗教である
「道教」の影響をうけた民間信仰です。

道教では
・人間の体内には三尸さんし(三匹の虫)がいる
・庚申の日の夜に寝ていると、三匹の虫が体内から抜け出す
・虫はその人の罪を天の神に告げ、早死にさせてしまう

といいます。これを防ぐため

庚申の日の夜は、眠らず徹夜するようにした

これが庚申信仰の概要です。

庚申信仰の概要イラスト

日本では平安時代の貴族たちが、庚申の夜の徹夜を行うようになり
しだいに武家・僧侶・庶民にも伝わっていったそうです。

江戸期以降、集落で庚申塔を建てるように

庚申の日の夜明かし行事を「庚申まち」と呼びます。

江戸時代には広く庶民の間で、地域ごとに
「庚申こう」という信仰の組織ができ、庚申待が盛んに行われました。
「講」という組織はいろんな信仰において、現在も残っている地域がありますね。

60日に一度の庚申まちを、3年連続行うと
こうで庚申塔が建てる事が多かったそうです。

繰り返しになりますが
庚申塔を見たら、近くで徹夜の「庚申待」が行われてたって事だね!

塔を建てる理由は

供養のため
(『角川新版日本史辞典』より)

だそうです。
供養っていうと
お祈りする、供物を供える、お経を読む、みたいなイメージですけれど

実際のところは

作ることでご利益があると考えられていたから、本当にたくさん作られたんだよ。村の人たちみんなでお金を出しあったりしてね。
(船橋市役所こどもホームページより)

記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
(目黒区Webサイトより)

のように、ご利益・記念も目的で建てたようですね。人間だもの。

庚申塔のすがた

庚申待のとき、ご本尊として掛け軸などの書画をまつったそうです。
その仏さま、神さまが、庚申塔にも掘られてゆくわけですね。

どんな神仏でどんなお姿かというと、実にバラエティに富んでいます。

『日本石仏事典』によると

・青面金剛像(これが最も多く全国に見られる)
・猿田彦大神像
・帝釈天像
・大日如来像

ほかたくさんの神さま仏さまが、挙げられていました。

一番多い青面金剛しょうめんこんごう
青いお顔とお体に、6本の腕。コワモテで武器を持っています。

青面金剛は結核の予防治療に祈る神さまで
三尸の駆除にもまつられるようになり
降庚申信仰の本尊になったそうです。

猿田彦大神さるたひこおおかみが、なぜ庚申信仰でまつられるのか…よくわかりませんでした。
庚申の申は、干支の猿だからかなあ?
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿も庚申塔の定番です。

道端で見かける庚申塔は、青面金剛&三猿が多いですね。

青面金剛と三猿の庚申塔
記事冒頭の庚申さまも、青面金剛と三猿

こういう石彫は造るのが大変なので
次第に文字だけの庚申塔も増えていったのだとか。

文字だけの庚申塔
上の写真のとなりには、文字と三猿だけの庚申塔が

庚申塔は沖縄以外の全ての都道府県にあるそうです。
本当に広い地域で、庚申待がおこなわれ、塔が建てられたのですね!

ここでちょっと疑問が・・・

みんな徹夜で何してたの?

徹夜の夜に、何するの?

徹夜の庚申待に何をしたのか…?
すごく簡単にいうと

集まる→お祈り→飲食

らしいです。

遠山郷の例

長野県飯田市、遠山郷観光協会のサイトに、
具体的な体験談が載っていました。
https://tohyamago.com/view/koushinkou/

昭和58~59年に、ご高齢の方々が思い出を語られた、貴重な記録です。
以下いくつかのお話から、遠山郷での庚申待の様子を推測すると・・・

当番の家では目印にのぼりを立て、座敷に掛け軸(猿田彦大神・青面金剛・三猿など)をかける

暗くなると集まり、皆でお祈りをする
「お庚申で庚申で まいたらまいたらすわか」
南無梵天帝釈青面金剛童子なむぼんてんたいしゃくせいめんこんごうどうじ」など…

持ち寄った重箱を開き酒盛をする

ふむふむ。酒盛りの様子はというと(以下、言葉そのまま引用)

「色々な話しに花がさきました。」

ふむふむ。具体的には?

「農作業の話、蚕の話、世間話をして」

なるほど、コミュニケーション・情報共有の場ですね。
子供も参加していたようで

「おじさんたちの暖かなふん囲気と、おこぼれのごちそうに満腹するとともに、ほた木の暖かさについ眠ってしまい」

かわいい!寝ちゃってる!

「必ずうどんを頂戴して皆解散する」

シメのうどん?!すごい!

庚申待ちの様子の想像イラスト

親睦の場であり、娯楽・楽しみでもあったですね

庚申塔にユーモラスでかわいいお像が多いのは、そのためでしょうか😄

どこか愛らしい庚申塔のイラスト

それで
この思い出話で興味深いのは、庚申待がいつまで行われたのかという記述です。

「行事がいつから続いたのかはわからないが、
私の知る限りでは、明治の末期から大正年代、昭和初期まで続きました。
その後は(中略)
戦火がきびしくなってから、いつともなく行われなくなりました。」

太平洋戦争で、続けられなくなってしまったのですね…
そういう地域は多いのではないでしょうか。
庚申塔も、当然つくられなくなってしまいますよね。残念です。

検索すると、現在も庚申待を続けている地域があるようです。一度参加してみたいなあ。

庚申待に参加する想像図
こんなかんじ?!

各地域でさまざな様子だった!

庚申待は地域により実にさまざまな様子だったようです。

徹夜で話す内容は、楽しい雑談のほかに

(農村では)作の話、増産方法、米価、煙草や野菜の値段、農薬、天気、虫害(中略)
漁村では、漁の良不良、漁業の将来(中略)
山村では炭焼から木材の話(中略)
商家が多い場合に、商売や景気の話
(『庚申信仰の研究』より)


仕事の情報交換は、とても大事だったようですね。

その他、神事・縁談・悪口・奇談・怪談・猥談・自慢話…
実にいろんなおしゃべりをしていたようです!

お祈りの内容は、先ほどの遠山郷のサイトには
「お庚申」とか「南無梵天…」とありましたが
全国的には般若心経ほか、様々な経文が読まれていたようですよ。

ほかびっくりするような事もたくさん書かれてたので、少し挙げます。

・良い付き合いではなく、いやいや出る場合もある
・碁や将棋、隠し芸などの娯楽や、景品を出す所もあった
・きわめて儀式張っていた地域もあれば、陽気に浮かれて歌いまくったり、ほとんど色話で持ちきりの地域もあった
・花札や半丁などの賭博もあり、大正期には警官に踏み込まれた例も

人が集まって徹夜する習慣が続けば、
そりゃあ…いろんな事が起きますよね。人間だもの!

庚申の日は広く、同衾どうきん(男女関係)が禁じられていたそうですが
信仰的な理由だけでなく、トラブル回避も目的なのでは?と感じました。
庚申待を夜でなく昼間行った地域もあるそうです!

終わりに…参考文献

庚申塔のこと、なんとなくわかって頂けたでしょうか?
私もしっかり調べて記事に書くことでよく理解でき、たくさんの発見や感動もありました!

さて記事中でも引用文献をいくつかご紹介しましたが
とりわけ2つをご紹介したいので、ピックアップ!

『庚申信仰の研究』窪徳忠

いろんな本やサイトで参照されている書籍。
膨大な資料を紐解き、実地検分からの情報も盛りだくさんで
タイトル通り「庚申信仰の研究の決定版」といったところでしょうか。
見て下さいこの厚み。

分厚い書籍『庚申信仰の研究』
左は500mlの水筒です

上の写真は1980年版。もとになった本ができたのは1961年。
情報集めも交通も不便な頃の研究本です。

冒頭からの引用を少々

重いリュックを背負って山道を登ったつらさ
足を棒にして終日尋ね回っても何の成果もでなかつたおりのいい知れぬわびしさ
酒に酔つた若者からドヤされて、ほうほうの態で逃げ出したこと(中略)
医師の制止もきかず、気づかわしげな妻子の顔をあとにして(中略)肺炎をおしての雨中の調査、下痢と暑さに悩まされながらの強行…

泣ける…
一般的には知らない人が多い、庚申信仰。
先人の労作・傑作が記憶を繋ぎとめ、知を積みあげてくれています。

『角川新版 日本史辞典』

考古学の時代~現代までを網羅した日本史辞書。
なんとスマホアプリになってまして、愛用してます。
いつでもサクサク見られて快適便利。
お金はかかりますが、月々課金ではなく買い切りなのが嬉しい。

ほか文献まとめ↓

『日本石仏事典』庚申懇話会 (編集) 1995年
『目でみる仏像事典』田中 義恭, 星山 晋也2008年
・道ばたの文化財 庚申塔 – 船橋市
https://www.city.funabashi.lg.jp/kids/knows/0005/p008897.html
・庚申塔(こうしんとう)って何 – 目黒区
https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/koshinto/nani.html
・庚申講の思い出 遠山郷観光協会
https://tohyamago.com/view/koushinkou/

最後に・・・

庚申塔のこと、なんとなくわかって頂けたでしょうか?
私もしっかり調べて記事に書くことでよく理解でき、たくさんの発見や感動もありました。

記事のダイジェストをコミックエッセイにもまとめましたので
よかったらどうぞ↓

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この記事を書いた人
真船きょうこ

イラストレーター・漫画家/仏像描いて10余年 ▶︎京都で日本画や仏像史を学ぶ→デザイナ→漫画家 ▶︎著書に『仏像に恋して』『彼と彼女のヒストリごはん』など ▶︎静岡生まれの関東在住、絵画講師、一児の母。詳しくはこちら

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